年 月 |
沿 革 |
民営交通船 |
大正初期 |
佐世保,早岐等へ長野舟(5挺櫓或は単帆の和舟) |
大正2~3年 |
粗末なボロ船発動船1,2隻が佐世保を中心に貨客の輸送を開始した。
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日光丸(船主は他所の方で船賃は当時大人5銭位)永続しなかった。 |
大正5年春 |
天興丸就航(機船共同組合発起人 原田喜十氏) |
第二天興丸就航 |
大正15年3月 |
第二天興丸遭難(死者18名 船長 辻脇甚太郎氏)
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大正8年 |
民営同業者航路を畑下 田崎重郎氏を中心として開始 |
畑丸(18トン 10ノット 66人乗り)就航 |
第二東浦丸(21トン 71人乗り)佐世保,俵浦,寄船
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大八丸(16.23トン 8ノット 26人乗り)就航 |
西海町営船 |
昭和3年 |
瀬川村一円の組織となる。 |
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瀬川丸(21.13トン 8ノット 55入乗り)就航,運賃各部落より片道20銭,往復25銭 |
川内新波止,八幡神社下,高地,畑下,小郡,銭亀,横瀬東,横瀬西 佐世保間を往復就航 |
横瀬丸(約15トン 6ノット 20人乗り)横瀬,佐世保を就航,昼航路を開航した。 |
船主,船長 横瀬西 太田勘助氏 |
水の浦丸(10トン)貨客船として臨時に佐世保,早岐,水浦就航 |
勢幸丸(18トン 10ノット 65人乗り)畑下,早岐を就航 |
川内丸(10トン)船主 福田武人氏。主に牛積船,臨時に早岐,佐世保,瀬川村を運航 |
緑丸(13トン)弁天丸(18.86トン)佐世保 ― 下岳,水浦北泊に寄港
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龍の浦丸 船主,船長 中浦 岸浦宗太氏(約20トン,瀬戸,鳥崎,中浦,佐世保)
昭和19年3月20日 大瀬戸町三年ケ浦沖で沈没,約200人死亡 |
面高丸(約20トン)木原久太郎,大久保源一郎氏経営。太田和,黒口,大久保,面高 |
鹿島丸(25トン 60馬力 78人乗り)面高丸航路引き次ぎ |
むつ丸 九州商船(株) 佐世保,面高,大島,松島,瀬戸,池島,神浦,長崎
昭和16年,面高曲の鼻沖で沈没2名死亡 |
第3大生丸(約50トン)第5大生丸(約50トン)九州商船(株)佐世保,面高・黒口 ― 長崎 |
長浜丸(約50トン)沢山商事株式会社 佐世保,畑下,杉崎,大村 |
昭和14年11月1日 |
民間所有船4隻を買収(25,000円)下記4船にて1日5往復就航 |
畑丸,大八丸,瀬川丸,横瀬丸 |
昭和15年9月7日 |
横瀬丸貨物船とする。 |
昭和16年6月1日 |
運賃改正 川内方面(片道40銭,往復45銭)横瀬方面(片道35銭,往復40銭) |
昭和16年9月1日 |
燃料不足により大八丸1隻にて運航 |
昭和17年9月14日 |
横瀬丸売却(3,600円) |
昭和18年4月1日 |
瀬川丸(1日1航海)就航(大八丸,畑丸 海軍施設部傭船契約) |
昭和18年8月1日 |
運賃改正 往復80銭 片道50銭 |
昭和19年1月24日 |
運賃改正 往復1円 片道60銭 |
昭和20年10月1日 |
大八丸(1日1航海)横瀬を基地とし就航 |
昭和21年3月10日 |
運賃改正 往復5円 片道3円 |
昭和22年4月1日 |
運賃改正 往復10円 片道6円 |
昭和23年7月20日 |
運賃改正 川内方面 往復26円 片道16円 |
横瀬方面 往復20円 片道10円50銭 |
昭和24年4月1日 |
運賃改正 川内方面 往復70円 片道45円 |
横瀬方面 往復60円 片道35円 |
昭和24年9月1日 |
運賃改正 川内方面 往復80円 片道50円 |
横瀬方面 往復70円 片道40円
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昭和25年2月1日 |
瀬川丸,大八丸2船で月40回運航 |
昭和25年4月 |
西岡商会 勢幸丸 寄船,横瀬西,横瀬東,佐世保航路に就航 |
昭和25年11月1日 |
沢山商事 大村 ― 佐世保航路権買収(100千円)畑下,杉崎寄港 |
昭和26年12月3日 |
第3瀬川丸建造(4,673千円) |
昭和27年3月10日 |
運賃改正 川内方面 往復100円 片道70円 |
横瀬方面 往復80円 片道50円 |
昭和27年5月19日 |
第2瀬川丸(大八丸)売却(70千円) |
昭和27年11月18日 |
第5瀬川丸建造(4,074千円) |
昭和28年4月30日 |
西田商会 第5勢幸丸及び同航路権買収(1,400千円) |
昭和28年5月1日 |
第3,5瀬川丸 毎日4往復就航 第5勢幸丸は予備船 |
昭和29年4月1日 |
3隻で毎日5往復。 |
運賃改正 川内方面 往復110円 片道70円 |
横瀬方面 往復90円 片道50円 |
昭和30年 |
西海橋完成 交通料金 普通車200円 バイク50円 人10円 |
昭和31年4月15日 |
運賃改正 川内方面 往復115円 片道75円 |
横瀬方面 往復95円 片道55円 |
昭和37年10月1日 |
運賃改正 川内方面 往復145円 片道100円 |
横瀬方面 往復115円 片道70円 |
昭和40年6月4日 |
弁天丸借用運航(月30千円) |
昭和41年4月1日 |
運賃改正 川内方面 片道100円 横瀬方面 片道70円 |
昭和41年7月1日 |
羽衣丸(76トン 180人)4,000千円購入 |
昭和43年10月1日 |
運賃改正 川内方面 片道110円 横瀬方面 片道80円 |
昭和45年3月 |
西海橋 通行料金無料となる。 |
昭和45年4月8日 |
せがわ丸建造(31,920千円)第5瀬川丸売却(300千円) |
昭和46年3月8日 |
羽衣丸売却(246+130千円) |
昭和46年5月1日 |
運賃改正 川内方面130円 横瀬方面100円 |
昭和47年3月31日 |
瀬川汽船(株)へ譲渡(3,240万円) |
せがわ丸(鋼船126.82トン 300人)第八瀬川丸(木船49.6トン 130人)航路権 |
運航回数 5往復 運賃 川内方面130円 横瀬方面 100円 |